[転載]3年目の春。ある50代の家族を亡くした男性の症例 ~ 被災地沿岸の田舎では 未だに「精神科」に対しての「偏見」が強いく、悪化してから病院に駆け込む。
2年以上が経過して・・・・。進まぬ復興に被災者の「不安」は溜まり続けているように思います。これは、宮古市の友人から聴いた話です。50代の彼は今、仮設住宅で一人暮らしです。震災で妻と母親を失ったのです。以前、宮古市の田老地区の仮設で写真を撮影して、飛ぶ込み取材をしてる時に知り合った人です。東日本大震災の被災者が語る現状の声~2つの仮設住宅で「飛び込み聞き取り取材」.どんなニュースよりも、大事なことです...
View Article中島 みゆき 糸
公開日: 2012/10/281988年、「命の別名」のB面 なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語 縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ 夢追いかけ走って ころんだ日の跡の ささくれ こんな糸が...
View Article日本海の優しさ、暖かさ、そして厳しさ。
ふと、日本海を見たくなった。何年か前、そう10年位昔になるか。男鹿一周駅伝に出場していた。その当時は風景を見る余裕などなくただがむしゃらに道路を蹴り前を走っていた。 そんな自分を思出したかった。 日本海の日差しは優しく、暖かくそして冬には厳しく。 今日の波間は光に溢れて煌いている。 自分もこのような心で過ごせたらと思う年頃になろました。 皆さんもいかがですか。
View Article[転載]原発さえなければ 聴いて下さい
原発さえなければ:橋本美香&制服向上委員会 2011年9月19日、原発さようなら1000万人アクション、明治公園にて。 私が生まれた この街に帰れない私が育った この家にもう戻れない原発さえなければ 事故は起きなかったのに原発事故さえなければ 昨日と同じでいられたのに確かに地震や 津波は すごかった誰もが初めて 経験...
View Articleアルバイトでの想い
今日は雨、先週の三連休で稲刈りは完了して台風の被害には合わなかった。 そこで高田の産直でアルバイトをする事にした。 レジ側に立ってお客さんが選んだ商品を受け取り袋に詰めて 「ありがとう ございます。」 と声をかける。 普段の会社の仕事ではまず言わないことば。 当然に言葉をかけると同時に相手の手先に袋を掛けてあげなければいけない。...
View Article雑感
平成も26年になり3月もあとわずかで終わります・あの東日本大震災から3年の月日がたちました。 震災の春に小学校の卒業式を迎えていた私の子供も今年中学校を卒業し高校に進学します。 本当に月日の経つのは光陰のごとくに思われます。 いまでも、当時の気仙沼で見た光景は忘れる事は無いでしょう震災の翌日に行った気仙沼のガレキと避難した人々の様子。...
View Article[転載]今日の滝の里
八幡平市、西根中学校の1年生がバス3台を連ねて仮設ボランティアで来てくださいました。震災時気仙中学校で教鞭をとっていた菊池先生が、翌年西根中に転勤になってから始まった仮設訪問は、今回で3度目になります。朝8時に学校を出発し、途中休憩やら昼食などで1時ころ滝の里に到着、さっそく仮設周りの雑草取りや、集会所のなかのお掃除をしてくださいました。学校紹介の後は合唱を披露してくれたり、応援のエールを送ってくだ...
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